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肖像

漢方医グエン・タイ・ハー 鍼治療における「金の針」

先祖代々受け継がれてきた伝統的な治療法を継承し、40年にもわたって発展させてきた漢方医グエン・タイ・ハー(Nguyễn Thái Hà) は、ベトナムの伝統医学に多大なる貢献をしただけでなく、地域社会の癒しの仕事において東洋の星という足跡を残しています。彼は現在、ベトナムの伝統医学とズオンシンの応用研究所の所長であり、サオ・フオン・ドン(Sao Phương Đông)医学・薬学会社の取締役会会長を務めています。
薬の伝統を受け持つ家庭に育った漢方医グエン・ タイ・ ハーはグエン時代の太医クイ・コンの14番目の孫です。彼の父、漢方医グエン・ヴァン・キム氏は薬と鍼治療で病気を治療することで有名です。過去四百年間、彼の一族は多くの古代の医療文書、代表的な書物としては『トゥー・ティー・チャン・キュウ・ダイ・トォアン』(レー王朝タイ診療所、中国語版、17世紀)を保存してきました。

過去10年間、漢方医グエン・タイ・ハーとサオ・フオン・ドン医学・薬学会社は、シンガポールの幹細胞技術の専門家であるファン・トアン・タン副教授と協力し、病気(機能障害、初期段階の身体的損傷)を治療し、身体の若返りを行うために、当初は日本で生産された幹細胞栄養素を用いた。 
漢方医グエン・タイ・ハーは幼い頃からの医学の旅について感無量な様子で語ってくれました。1975年、B2戦場から戻った彼は重度の肺損傷とマラリアの後遺症に苦しみました。当時、彼の体重は約39kgしかなく、医者によると、もはや重労働できない身体になっていたそうです。彼は父である漢方医グエン・ヴァン・キム(1915年〜1995年) から伝統的な薬と鍼治療を受け、徐々に治癒しました。

彼の健康状態は徐々に回復し、グエン・カック・ヴィエン氏(外文出版社のディレクター)からヨガを学び、実践し続け、最大6時間ほど瞑想する日もあり、心と体力が大幅に改善されました。その致命的な病気を経験したことで、医学の研究と実践への情熱がかき立てられハー氏は父親から直接医学を学ぶようにました。その後何年か経ち、父親の許可も得ず、毎晩家をこっそりと出て、試したいという抑えがたい気持ちから友達の病気の治療に励みました。

1983年8月、ハノイのチャン・フー通り3番地に住む29歳のグエン・ ヴァン・ チュンさんは完全に変色した視神経と硝子体出血の手術を2回受けましたが、効果はありませんでした。 しかし、グエン・タイ・ハー氏による鍼治療のわずか9日後、彼は新聞を読めるようになり (視力8/10) 多くの人を驚かせ、当時のベトナムフォトジャーナルにもこの病気の治療に関する記事が掲載されました。



40年間、漢方、鍼治療に携わってきた漢方医、伝統医学研究者グエン・タイ・ハー。


鍼という伝統医学で患者を何度も救ってきた漢方医グエン・タイ・ハー。


脊髄神経に関連する病気を薬や手術を使わず鍼で治療する漢方医グエン・タイ・ハー。


うつ病、消化器疾患の鍼治療で「黄金の針」と呼ばれているハー氏。


名門家の伝統医学を継承し、サオ・フォン・ドン診療センターの患者に直接薬を調剤する漢方医グエン・タイ・ハー。


サオ・フォン・ドン診療センターの若い同僚と仕事について意見を交換するハー氏。


サオ・フオン・ドン鍼治療と超心理学的研究グループを設立した漢方医グエン・タイ・ハーと伝統医学に情熱を注ぐ
多くの若い医師や科学者。
これは民間が施設と人材に投資したベトナムで最初の民族医療施設。


伝統医学で病気を治療するという同じ情熱を共有する父グエン・タイ・バオ修士・医者と
息子の漢方医グエン・タイ・ハー。  写真:資料



1983年8月、完全に変色した視神経と硝子体出血の手術を2回受けたが効果のなかったハノイ市チャン・フー通り3番地に住む29歳のグエン・ ヴァン・ チュンさんを鍼治療し、わずか9日後に新聞を読んで (視力8/10) 多くの人を驚かせたグエン・タイ・ハー氏。

1983年初頭、漢方医グエン・ タイ ・ハーは伝統医学に熱心な若い医師や科学者を集めて、サオ・フオン・ドン鍼療法と超心理学研究グループを設立しました。グループのメンバー全員がベトナム語、英語、ロシア語、フランス語、中国語の5つの言語の外国語スキルを持ち、世界中の鍼治療に関する多くの貴重な文書を翻訳し、書籍の編集を行っています。その後、漢方医のハー氏は東洋医学理論の多くの問題について、ベトナム伝統医学研究所所長のホアン・バオ・チャウ教授・博士ベトナム伝統医学研究所の元副所長チャン・トゥイ教授・博士から直接指導を受ける機会がありました。


1984年の終わりに、彼は光栄にもホアン・バオ・チャウ博士、教授とともに、鍼治療に関する知識をまとめた百科事典を書くことができ、ベトナム百科事典研究所から出版されました。1990年9月、サオ・フオン・ドン鍼療法と超心理学研究グループは、総政治部(国防省)の軍事医療部門と協力して、軍出版社からベトナム語、英語、ロシア語、フランス語およびドイツ語の5言語で書かれたツボの簡易な鍼治療の本と絵を出版しました。

これは、漢方医のグエン・タイ・ハーが築いたサオ・フォン・ドン治療センターの発展における最初の大きな節目となりました。1990年から1992年のわずか2年間で、簡略的な鍼の本は2万部の出版と配布を記録しました。前世紀の90年代にサオ・フォン・ドン治療センターは東洋医学と西洋医学を統合する方向で、現代生活における民族医学に明るい光を照らしました。このセンターはベトナムで最初に施設や人的資源に投資された民間の民族医学施設の一つです。


サオ・フォン ・ドン治療センターは「協力と共有」をスローガンに、多くの中央製薬企業と協力して、多くの天然由来の製品を生産している。代表的なものとしては第103軍医学院、老科病院、濃化土壌センターと協力して生産した薬フィラミンである。フィラミンはベトナムの医薬品供給元から入手できる最初のがん治療のサポート製品である。


1992年6月、ハノイ医科大学漢方科の東洋医学医師グループは漢方医のハー氏とともに、チャン・トゥイ教授の専門的な指導の下、ハノイ市チャン・フン・ダオ通り109号にサオ・フオン・ドン民族医学センターを設立しました。多くの困難な病気 (喘息、脳血管障害、多発性関節炎、いくつかの五感の病気、内臓など) を長年患ってきた何万人もの患者が著しく治癒または改善してきました。


2002年、サオ・フオン・ドンは簡略的な鍼の本を元に、ハノイ医科大学伝統医学部と協力して総合的な鍼の本を医学出版社から出版し、2015年には総合的な鍼の本に新たな内容を追加し再版しました。序文で、保健省の伝統医学局局長のファン・ヴー・クアン准教授は次のようにコメントしています。「総括的な鍼の本は東洋医学の医師、特に若手医師の指針となる、実用価値の高い本です…」。


漢方医グエン・タイ・ハーは多くの国際協力プログラムも立ち上げ、有名なピョンカン韓国東洋医学研究所ソ・ヒョソク所長と協力して、国際セミナー「世界的なバイオ医薬品技術の先駆者ピョンカン」を開催し、ベトナムの多くの主要な医療科学者の参加しました。20世紀の終わりに幹細胞技術は新しい医療専門分野に発展しました。


漢方医グエン・タイ・ハーは薬や手術なしで脊椎マニピュレーション、手動調整技術による脊椎に関連する病気の治療など、多くの治癒方法で成功している人物でもあり、鍼でうつ病、消化器疾患を治療する「黄金の針」と呼ばれています。


最近、ベトナムの民族医学とズオンシンの応用研究所所長として、ベトナム伝統薬協会と協力し、ハイテクなナム・トゥエ・ティン薬用植物園プロジェクトに取り組みました。同プロジェクトは最初、ベトナムの多くの貴重な薬用植物の再生に貢献することを目的としてバク・ザン省とティエン・ザン省で実施されました。

漢方医グエン・タイ・ハーは毎日、サン・フォン・ドン治療センターでの健康診断と治療に多くの時間を費やし、少数民族のための多くの慈善健康診断と治療活動に参加しています。彼は患者が回復し、病状がよくなるのを見るたびに、いつも医者としての生き甲斐を感じています。


 

文:ビック・ヴァン

写真:ヴィエット・クオン、資料


隈研吾 – 建築専攻のベトナム人学生にインスピレーションを与える人

隈研吾 – 建築専攻のベトナム人学生にインスピレーションを与える人

日本の建築家、隈研吾氏は教育者であり、世界的に有名な建築家です。彼はベトナムで両国間の友好の象徴となる多くのプロジェクトをデザインしてきました。ハノイ建築大学でのセミナー「自然とともに生きる」における講演は、将来建築家を目指すベトナム人学生にインスピレーションと知的エネルギーを与えました。

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