• Vietnamese
    ベトナムフォトジャーナル ベトナム語
  • English
    ベトナムフォトジャーナル 英語版
  • Français
    ベトナムフォトジャーナル フランス語版
  • Español
    ベトナムフォトジャーナル スペイン語版
  • 中文
    ベトナムフォトジャーナル 中国語版
  • Русский
    ベトナムフォトジャーナル ロシア語版
  • ລາວ
    ベトナムフォトジャーナル ラオス語版
  • ភាសាខ្មែរ
    ベトナムフォトジャーナル クメール語版
  • 한국어
    ベトナムフォトジャーナル 韓国語版

遷都詔

1010年の秋に李朝(リー)の王様と役人が行なったホア・ルー(ニン・ビン)という古都からダイ・ラー城(現在はハノイ)への偉大な遷都はリー・コン・ウアン王様が発行した有名な遷都詔の誕生の物語を伴う。
歴史の書類によると、1010年の春に、老人に金銭、刺繍を提供するためにコー・フアップ州(現在はツー・ソン県、バック・ニン省)へ出張した際、リー・コン・ウアン王様が手書きで遷都詔を書き、都をホア・ルーからダイ・ラー城まで移動することを論じたということである。また、史書でも、「2010年7月の秋に、リー・コン・ウアン王様は都をホア・ルーからダイ・ラー城まで移動した。王様と役人の船がダイ・ラー城の港湾に着陸した時、金の竜が飛び上がっているのが見えたので、王様は吉兆であると考え、ダイ・ラーをタン・ロン(竜が登場するという意味)と名付けたと書いてある。

右手が遷都詔を持ち、左手がタン・ロンの土地に指すハノイにあるリー・コン・ウアン王様の像。

李朝の各王様を祭るドー神社(バク・ニン)の屏風にある遷都詔。

ハノイ1000年大記念祭に際してヴァン・ラム刺繍村(ニン・ビン)の職人達がハノイに差し上げた膨大な刺繍絵にある遷都詔(右の奥のところにある)。
 
大越史記全書(政和18年(1697年)に彫刻された版)はリー・コン・ウアン王様が発行した遷都詔の全文を引用した。その一部は次のように記された。「ダイ・ラー城は恵まれた環境があり、天地の真ん中に位置し、竜が丸め、虎が座る姿勢を持ち、南北東西の真ん中にあり、前後山川の地勢があるので、便利ではないか。この地域は土地が広く、平らで、地表が高く、明るく、国民はくらいものではかく、生き物はは繁栄している。越国全体を見ると、ここは恵まれ、四方の有利点を集めると言えるではなか。本当にここは永遠に国の都を選んだほうが良いところである。」
遷都詔の内容は次のことを示した。リー・コン・ウアン王様は都を建設する帝王事業に適する竜が丸め、虎が座る土地の姿勢を持つことを発見するという天才的な判断能力を持っているわけではなくて、国民が安定し、住みやすくなるように高い地表にあり、明るい雰囲気を持ち、生き物が繁栄しているを見つけ。国民に対して思いやりの心を持っている王様であった。
ベトナムの封建時期の最初の行政文章の一つである遷都詔の価値に関して、多くの学者は次のように述べた。「遷都詔はタン・ロンを都にすることを通して、時代を超えるリー・コン・ウアン王様の視野、天才の判断能力、深い文体、意味を示すだけではなく、文学芸術の面でも多大な価値を有する歴史上の大事な文献である」。
チャン・クオック・ヴオンによると、遷都詔はタン・ロン京都の役割を強調し、ハノイ、及び李朝の文学を創立する作品であるとされている。
遷都詔が作成され始めてから、ちょうど1000年になった。万物は変わってきたかもしれないが、漢字が214字しかない遷都詔の偉大な価値は絶対変わらないと言えるであろう。それはなぜかと言うと、215年の李朝後、タン・ロンは引き続き多くの王朝の都になった。175年(1225年-1400年)の陳朝、99年(1428年-1527年)の初レー朝、65年(1527-1592)のマク朝、196年(1592年-1788年)の中レー朝等である。現在、この土地はハノイ、ベトナム社会共和国の首都でり、良知と品格の首都、平和の首都、ベトナム国民の大好きな首都である。このことは昔のタン・ロン、現在のハノイは本当に恵まれた環境があり、四方の有利点を集める地域であることを示し、永遠に国の都であると言えるであろう。
 
  文:タン・ホア (Thanh Hoa) :タット・ソン(Tat Son)
 
 

admin

ハンクアット通り

ハンクアット通り

ハンクアット(クアットは扇子である)通りにおいて扇子を作ったり、販売したりし、竹、葉、紙などの他の地方からの原料を生産したり、購入したりする。昔、ベトナムのフン・イエン省アン・ティyのダオサ村の人々は扇子を作る技術をここに伝え、スアン・フィエン・ティ(春の扇子の市場)と名づけた集会所(現在、ハンクアット通りの4番地を設立した。

Top