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肖像

本名徹次氏:「私はVNSOで働くことがうれしい」

ベトナムに来て10年以上になった本名徹次氏は、音楽のコンサルタント兼ベトナム国立交響楽団(VNSO)の指揮者として、シンフォニー室内楽を現代音楽と統合させ、ベトナムの民衆に普及させることに大きく貢献していた。
 

 本名徹次指揮者が初めてベトナムに来たのは2000年に名古屋フィルハーモニー管弦楽団と協力して、トヨタクラシックコンサートのツアーをハノイを含むアジア8カ国で行った時である。ベトナムにて、ベトナム国立交響楽団の監督のゴー·ホアン・クアン氏の招聘を受けて、本名徹次氏は教授するためにベトナムに残った。そして、2001年から現在までベトナム国立交響楽団の音楽コンサルタントをしている。

マルタ·アルゲリッチ、エリザベート・レオンスカヤ、アントニオ·メネセス、セシールリケードのような世界一流のソロアーティストと一緒に働いたことがあり、そして、さまざまな大規模のオーケストラで指揮した経験があるため、VNSOに任務することになった、そして本名氏はベトナム交響楽団の演奏の質の向上に大きく貢献していた。


日本の本名徹次指揮者はベトナム国立交響楽団で10年以上も働いている。

その期間中に、彼はベトナム国立交響楽団の音楽コンサルタント兼指揮者を務めていた。

本名徹次指揮者はベトナムのミュージシャンにテクニックについて指導している。

本名徹次指揮者とベトナム交響楽団のミュージシャンは2011年10月末の米国ツアーのリハーサルに集中している。

本名徹次指揮者とベトナムの優秀な若手バイオリニストであるドー・フォン・ニーはショーのための練習を行っている。

2011年のベトナムで行われたトヨタコンサートショーでの本名徹次指揮者、
優秀な若手バイオリニストであるドー・フォン・ニーとベトナム交響楽団の演奏者たち。

弛まぬ努力のおかげで、本名徹次指揮者とベトナム交響楽団のミュージシャンの公演は
順調にコンサートを終えることができた。


ベトナムでの音楽活動の中で、彼はベトナム国立交響楽団を世界の多くの場所ですばらしい演奏が出来るように導いた。特に、2004年10月に、彼はベトナム国立交響楽団と一緒に日本の東京と大阪での公演ツアーを大成功に開催して、2005年の演奏シーズンからベトナム交響楽団の予約コンサートのプログラムを指揮した。最近では2011年10月末の米国での公演ツアーの例があった。2013年に日越の友好関係設立の40年周年記念日を祝う特別公演を行う予定である。ベトナム国立交響楽団の指揮者として、本名徹次氏にとって、最も難しいのはベトナムと日本の文化の違いである。そこで、仕事では、彼は他のベトナム人のミュージシャンの間で意見の相違が発生して、共通の声が見つけられない時もあった。しかし、培った音楽の経験の中で彼とベトナム人のメンバーはすべての困難を克服して、互いに認識を合わせるように、いつも頑張って意見交換を行っていた。そのおかげで、どんな問題があっても、最後はスムーズに解決できていた。
本名徹次指揮者について
- 1985年に東京の国際指揮コンクールの1位を受賞。
- 1990年にトスカニーニの国際指揮コンクールの2位を受賞。
- 1992年にブダペストの国際指揮コンクールの1位を受賞。
- 1997年に大阪の劇場発展の1位を受賞。
- 本名徹次氏はハンガリーのフィルハーモニー州、ザグレブ·フィルハーモニ、ブルノ·フィルハーモニー、プラハラジオなどと言った多くの管弦楽団を指揮したことがある。日本では1995年から2001年にかけて、大阪交響楽団の常任指揮者、1993年~1997年にかけてジャパン·チェンバー·オーケストラの指揮に任命された。 1998年から2001年までは名古屋フィルハーモニー管弦楽団の常任ゲスト指揮者であった。

- 現在、ベトナム国立交響楽団の指揮官の役割以外に、本名徹次氏は2003年に設立されたニッポニカオーケストラの音楽監督の役割も兼ねている。


現在、ベトナム交響楽団の音楽家への直接教授と指導の他に、時々出張に行った時に、各国の優れた音楽家同僚に会うと、本名徹次指揮者は彼らをベトナムに招待し、楽器を演じたり、ベトナム交響楽団のミュージシャンに音楽を教えたりしてもらっていた。その中で、ベトナムのオーケストラに志願して支援するために何度も来た音楽家もいた。ノルウェーのコンサルタントであるトルルス・サネーカ氏は「私はハノイと本名徹次指揮者の指導スタイルとベトナムのミュージシャンのメロディーやハーモニーの敏感な能力について本当に感動した」と述べた。


ベトナム交響楽団を世界の他の国と比較することや今のシンフォニー室内楽でのベトナム国立交響楽団の位置について尋ねられたと、本名徹次氏は「それぞれの国が異なる文化を持っているので、音楽の実感スタイルも違うため、比較することは非常に難しいと思う。ベトナム人は演奏したり、聴いたりすることを非常に楽しんで、音楽の感じることも今まで行ったところと違っている。今日のベトナム国立交響楽団が以前より良くなってきたことは私が確信します。また、ベトナム交響楽団の公演プログラムも既に音楽愛好家の深い関心を受けて、いつもチケットを完売している状態である。それは私にとって一番幸せなことである。」と言った。
 
10年以上に渡りベトナムに滞在している理由について尋ねた時、本名徹次指揮者は、それはここの人々、料理と風景である、と言った。ベトナムでは、いつも自宅のように感じていた。そして、その他の理由は国立交響楽団のディレクターであるゴー·ホアン・クアン氏のことである。本名徹次指揮者は「私を今まで、また今後もベトナム交響楽団で働かせることはゴ·ホアン・クアン氏こそである。仕事では私と彼の間に一生一緒に働くことができないほど、激しい論争が発生したことがあるが、幸いなことに、その後、彼は心を開いて許しあい、我々は一緒に喜んで音楽を続けることができるようになった。理由は我々がベトナムのオーケストラを地域レベルから国際レベルに達成させるという大きな目標を一緒に目指して実施しているからである。
文:ガン・ハー
撮影:チン・ヴァン・ボー

文:ガン・ハー - 撮影:チン・ヴァン・ボー

ア・フインさんの心

ア・フインさんの心

ア・フインさんは音楽学校に通ったわけでもなく、誰かに教わったわけでもなく、ただ、シルクのはためく音、ティンニン、クニ、ダン・ダ(石琴)などが目に見えない魔法のように彼の心を惹きつけ、吹き飛ばしたからです。彼は情熱の火が燃え上がり、ジャライ族の古代楽器のほとんどを作り、演奏できる優秀な若い職人になりました。

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