24/06/2015 13:37 GMT+7 Email Print Like 0

フエ遺産を回復

グエン王朝(1802年-1945年)の建造物は、長い間忘れられ、天災や戦争による爆弾によって破壊された。1993年に、フエ古都がUNESCOに世界文化遺産として批准された後、その建造物を保存し修復することを。その時から今まで、多くの工事は回復した。
時間が経った古い建物
フエは雨が多く、厳しい季節、自然災害と、さらにフランスとアメリカの戦争の影響のため、フエ古都の遺跡は崩壊された。

1999年、大洪水により、フエ城は沈んだ。多くの宮殿が長い間沈んだため、その宮殿、木造の建造物などの木が朽ち、倒壊した。その前、1985年、大きな台風が襲い、フエと多くのフエのどこの建造物もひどい状態になった。


1968年アメリカに爆弾投下で破壊されたフエ。
撮影:資料



時間の経過とともに、フエの多くの工事は破壊され、老朽化した。
撮影:クゥオック・ヴィエット



1999年の洪水の中のフーヴァンラウ遺跡。
撮影:クゥオック・ヴィエット



1999年の洪水の中のフエの城の午門。
撮影:クゥオック・ヴィエット
 
フエの遺跡はベトナムの世界文化遺産の中、最も大きな規模があり、面積が数百万Haである土地で1400の工事がある。
私はフエの出身で、ふるさとに住んだ時、毎年、2回、3回洪水を見た。ある時、水は滝のように流れ、アンホア城、チャインタイ城、クアフウ城などの門が濁流に押し流された。

前世紀の1980年代において、フエ王城は雑草に囲まれた。人々はここで牛、水牛を飼った。城の壁のそばで野菜なども栽培した。そのため、フエ王宮の周りの建築は前より破壊された。

 
フエの人々が遺産を「救助」したこと

フエ王宮の建築がUNESCOに世界文化遺産であると批准された後、トゥアティエンフエ省はフエ古都遺跡保存センターにその遺産を修復する責任を負わせた。

UNESCOの規則によると、UNESCOは2年ごと1回世界文化遺産の保存、修復を調査する。2006年から2012年まで、フエはUNESCOに保存、修復のレポートを送った。そのレポートはUNESCOに高く評価された。そのため、2013年、フエは「警戒遺産」のリストに入らなくなった。UNESCOは何回もフエの専門者がUNESCOの世界遺産委員会のICOMOSに参加することを頼んだ。


フエ古都の遺跡が世界文化遺産になった日から今まで、22年間後、午門、タイホア殿、ヒエンラムカック、ジエント宮廷などの数百の重要な建物は修復された。



観光客にフエ古都遺跡の模型を紹介しているガイド。
撮影:ホアン・クアン・ハ



修復された建築の一つ。
撮影:ホアン・クアン・ハ


修復されているチエウ・ト・ミエウ遺跡。
撮影:ホアン・クアン・ハ



グフン楼閣を修復している労働者。
撮影:ホアン・クアン・ハ



2015年、布古都遺跡保存センターは午門、グフン楼を修復する多くの専門家、優秀な職人に頼んだ。
撮影:ホアン・クアン・ハ



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1923年から、90年間後、午門、グフン楼は再修復された。
撮影:ホアン・クアン・ハ



日本の修復の技術で修復されているチエウ・ト・ミエウ遺跡。
撮影:ホアン・クアン・ハ



ヒエン・ニョン・カック遺跡の中の跡を修復しているフエの職人たち。
撮影:ホアン・クアン・ハ


修復されたグエン王朝の王を祭るテ・ミエウ遺跡。
撮影:ホアン・クアン・ハ


修復されたタイホア殿。
撮影:ホアン・クアン・ハ



2011年修復が完了したティエン・トゥ帝廟。
撮影:ホアン・クアン・ハ



グエン王朝の最初の王であるザ・ロン王の帝廟の門
撮影:ホアン・クアン・ハ



グフン楼から見たタイホア殿。
撮影:ホアン・クアン・ハ
 
フエ古都は19世紀のグエン宮廷の建築を有する宮殿、楼閣などを含むフエ古都の建築をはじめ、ベトナムの文化遺産を保存している。フエは東亜の封建制度の末の企画のモデルとなった。
(ファン・タイン・ハイフエ古都遺跡保存センターの指導者)
特に、午門-皇城の正門であり、フエ市のシンボルとして知られる。90年に渡って、啓定王の誕生日〔1916年~1925年〕に際して、1923年に、修復されたときから、フエ古都遺跡保存センターはこの遺跡を再び修復する。

ファン・タイン・ハイフエ古都遺跡保存センターの指導者によると、1世紀を渡って、自然災害の影響、戦争による爆弾投下による被害で、この遺跡はひどい状態になった。今回の修復はこの重要建築物の保存に意義がある。

それで、フエ古都遺跡保存センターはフエ市と全国、外国の最も優れた専門家、職人たちに午門修復の参加を依頼した。

世界の最も現代的な修復技術〔日本の技術〕はフエ市で使われる。この技術により、専門家たちは最も最適な修復方法を選ぶために、午門の部分を、研究調査した。

チャン・ヴァン・フオン氏・午門修復の管理者によると、修復規程はフエ古都保存センターにより詳しく監察される。
2014年、グエン・タン・ズン首相の1880/QĐ-TTg決定書に従う「2010年~2020年の段階におけるフエ古都遺跡価値保存と発揮計画」を実施するために、フエ古都遺跡保存センターは900億ドンの資本金で、17遺跡の修復工程を実施した。

計画書によろと、2015年、フエ古都遺跡保存センターは1500億ドンの資本金で、22ヶ所の遺跡修復工事を実施する。そのなか、ザァー・ロン(Gia Long)王の陵、ミン・マン王の陵、トィエウ・チー王の陵、トゥー・ドゥック(Tu Duc)王の陵などの数多くの陵は修復される予定である。

 
世界はフエ市の遺跡修復を援助する

Tこのごろ、ユネスコの国際援助基金は2014年~2015年の段階における「フエ遺産管理システムの強化」プログラムのために、2万9930米ドルの金額を後援した。アメリカ外務省のアメリカ文化基金(AFCP)はフエ皇城地域の2つのプロジェクトのために、73万米ドルを提供した。ラオス政府はチーク材の400㎥を提供。フランスのRhone Polenc会社は、顯臨閣などの修復のために、百万米ドルの資金を後援した。金額援助のほかに、ドイツ、日本などの数多くの国家の専門家たちが保存に関する技術を直接援助した。


フエ古都保存センターと韓国国家芸術センター間の協力約定の調印式の模様。
撮影:コック・ヴィエット

 

フエ古都保存センターのために、宮廷鐘を送る韓国国家芸術センター。
撮影:コック・ヴィエット



フエ皇城を考察するファン・タイン・ハイ博士-フエ古都遺跡保存センターの指導者とフランス人の専門家。
撮影:ホアン・クアン・ハー



テーミエウ(The Mieu)地域の模様。
撮影:ホアン・クアン・ハー
 
今まで、フエ古都遺跡保存センターはユネスコにより世界文化遺産として公認されたフエ古都遺産に属する132ヶ所の建物・構造物を修復した。すべての遺跡は様々な方法で、厳重に保管される。
各政府、国際組織の援助、協力はフエ市に資金、修復経験、技術を援助するばかりでなく、フエ市に対する外国の友好関係を表現す。それで、フエ市は世界に、市のイメージを宣伝し、紹介できる。それにより、外国観光客の人数は日増しに多くなる。2014年、百万人の外国人の観光客はフエ市を訪問した。

遺跡を保存修復事業を促進するために、フエ古都保存遺跡センターは遺跡修復プログラムへの外国人の専門家たちの参加依頼計画を立てた。

フエ市民たちは祖先の遺産に対して、特別な想いを持つ。それで、フエ市民たちは、市に貢献を果たしてくれた人々に感謝の意を表した。市民たちは1997年、修復中に、亡くなったボーランド人のKazik建築家の碑は遺跡の傍に立てられた。

 

文:タイン・ホア、コック・ヴィエット
写真:ホアン・クアン・ハー、コック・ヴィエット、資料より。