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スポーツ

イエンテーの神秘的なフルート(横笛)武道

昔のバクザン省の北西のイエンテー山地は山が切り立って非常に高く危険なところであり、タンロン都市から遠かった。レー王朝(1428年~1527年)の歴史資料の中での「ドゥ・ディア・チ」という作品には世界文化有名人であるグエンチャイ(1428年~1527年)はイエンテー武道の土地について賞賛した。このところこそは19世紀後半から20世紀初頭までの期間に歴史の本に記録された農民のホアン・ホア・タム英雄のイエンテー蜂起があった。また、この土地こそにフルート武道という民族の難解な武道を生み出したところである。
多くの研究者によると、フルート武道(ティエト・ディクとも呼ばれる)はあまり知られない武道であり、民族のアイデンティティに強く染み込んでいて、何百年も前に誕生された。フルートは元々エレガントな楽器だが、イエンテー反乱軍により武器として使われた時に、非常に危険で損傷性が高いものになった。従って、イエンテー反乱軍はそれを敵を破壊する武器として使うようになった。イエンテー蜂起(1884年~1923年)では武道フルートはよく使われた。イエンテー反乱軍の手で鉄フルートは武器でありながら、敵の襲来を通知するための信号及び通信の方法になった。

1990年には、バクザン省の文化・スポーツ局はイエンテーの伝統的な武道フルートの収集活動を行った。イエンテー地区、タムティエンコミューン、ルンフェ村におけるイエンテー蜂起の地では、現地調査団はテー民族の人で、フルート武道の源流の伝統を継承している雄一の武術の先生であるチエウ・クオク・ウイ氏と出会った。ウイ氏は自分の叔父であるチャン・ドアン先生(卓越した武術を持っているイエンテー反乱軍の一人)によりフルート武道を伝承された。
ウイ氏によると、最初はフルート武道が「ティエト・ディク・タン・フォン・ゴック・ディエン・カイ」と名付けられた。すなわち、鉄フルートが風神のように強く、魔法のメロディであることを意味する。その後、「ボン・チャン・フォン・スオン」に改名され、イエンテー反乱軍の有名な反乱の場所に関連付けられた。
 

チン・ニュー・クアン先生の笛は長さが2メートル以上で、重さが5キロである
「ロン・ジュン」鉄フルートで「ボン・チャン・フォン・スオン」フルートを吹いている。

フォンスオンーイエンテー小学校の武術の学生は昔のイエンテー反乱軍のイメージを再現するための衣装を着てフルートを持っている

昔のバクザン省のイエンテー山地は山ばかりで、寂しく非常に危険なところであったが、藍のシャツを着るホアン•ホア•タム(1846年~1923年)リーダーの正義の旗影の下に献身的に尽くした英雄が多く集まった場所であった。彼らの所持品には銃や爆発物の武器以外、弓、矢、槍などといった武器もあった。特に、楽器、ペン、チェス、鉄スポーク、絹、ブローチなど、他の超常的な武器もあり鉄笛もそのような武器の一つであった。

 

二人の武士は鉄製の笛を使って大刀と抵抗する技を演じている。

「ラオ・ハン・ズ・ソン」フルート武道(貧しい老人が山へ遊びに行く)

「ダイ・コイ・ティン」フルート武道(大スター)

「ティン・バン・ティエン・ブ」フルート武道(王位の星)

「ダム・チェン・ニョク」フルート武道(貴重な蓮のストーン形)

「タン・ディエウ・ギン・フォン」フルート武道(ワシが風を受け取る)
 
「フォン・ホアン・ハック・ディン」フルート武道(フェニックス鳥は山の頂上に飛んでいる)

イエンテー反乱軍のフルート武道は剣の転換用兵器のようだった。打撃の方法が剣の方法と同じで、杖の影も多少見える。

フルート武道は魔法武術をメロディアスなフルート音と組み合わせて、予測不可能なものである。フルートの音は時には空気が上下して流れるように、時には、急激で圧倒した力と強さを表すものになった。フルート音を通じて、聞き手はフルートを吹く人の内の力と気力が感じられる。マスターに達するまでフルート武道を習った人は鉄フルート上手に操ることができる。従って、フルート武道を演じる時は非常に柔軟で、ある時は嵐のように激しく強いが、ある時は湖の上に映った月光のように滑らかで非現実的で、相手が予測できないものである。

今日、バクザン省にはこの難解な武道を幸運にも教わりマスターになった人はチン・ニュー・クアン先生である。チエウ・クオク・ウイ先生により愛好され、武道を伝承された。長年のハードトレーニングの後に、チン・ニュー・クアン先生は「ティエト・ディク・タン・フォン」と「ボン・チャン・フォン・スオン」のフルート武道を完璧に見に付けた。

チン・ニュー・クアン先生は今年59歳であり、フルート武道のレベルを音楽の面も武道の面も完璧で、繊細で、洗練された魔術のレベルまでに上げた。彼によると、昔のイエンテー反乱軍の鉄フルートは長さが約65cm ~70cmで、重さが0.4キロで、のようだった。鉄フルートは戦闘の中、攻撃、受け身、突きに使用することができた。通常、鉄フルートは楽器として使うが、異常の時に、硬くなったり柔らかくなったりして、非常に柔軟なので、重要な武器になるという。

長い間の研究・調査の結果で、チン・ニュー・クアン先生はサイズと重量がより大きくて特殊な鉄フルートを製造した。例えば、「ティエウ・トオン」フルートは長さが1.6メートルで、重さが4キロである。「コイ・ティエン・タイ」フルートは重さが3.5キロである。特に、「ロン・ジュン」フルートは長さが2メートル以上で、重さが5キロであるが、標準の音をして、現代のオーケストラと合奏できる。

チン・ニュー・クアン先生が伝統を受けて学生に教えた「ボン・チャン・フォン・スオン」フルート武道は国家レベルの重要なイベントによく出場した。 1993年に、チン・ニュー・クアン先生は「ボン・チャン・フォン・スオン」を始めて演じ、フルート武道はそこから正式に「国家武道書」に記録されるようになった。2008年6月に、チン・ニュー・クアン先生と学生について語った「イエンテーフルート武道」映画は「第4回の国際映画やスポーツテレビFICTベトナム祭」の第二等賞を受賞した。長年にわたりフルート武道にこだわっているクアン先生は皆に愛されて、「キ・サオ・キン・バク」と呼ばれている。

武道、特にイエンテーフルート武道の神秘的な武道武術を偏愛しているチン・ニュー・クアン先生は農民の英雄ホアン・ホア・タムの故郷での多くの世代に、昔英雄で武術が大好きなイエンテー人々のユニークで伝統的な武道フルートを教えてきた。
文: ビン・フン
撮影:
チャン・タン・ザン

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