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リー・クォック・ス通り

リー・クォック・ス通りはホアン・キエム区のハン・ボン通りとハン・マイン通りの交差点からニャー・ト-通りとオウ・チュウ通りの交差点までを指す。昔はトォ・スオン県、トゥアン・ミー集落ティエン・ティ村で、19世紀初頭から府の通り、さらに県の通りとなり、フランスの殖民下ではRue Lamblo通りと呼ばれていた。

リー・クォック・ス通りはホアン・キエム区のハン・ボン通りとハン・マイン通りの交差点からニャー・ト-通りとオウ・チュウ通りの交差点までを指す。昔はトォ・スオン県、トゥアン・ミー集落ティエン・ティ村で、19世紀初頭から府の通り、さらに県の通りとなり、フランスの殖民下ではRue Lamblo通りと呼ばれていた。


リー・クォック・ス通り




リー・クォック・ス通りの見物が好きな観光客


リー・クォック・ス寺を訪れ平和を祈る人々

「リー王朝の皇帝指南役・国師」であったリー・クォック・ス(1066-1141)は歴史書によれば本名はグエン・チ・タイン、ディエム・サ村(現:ニン・ビン省ザ・ヴィエン県)出身、法名は明空禅師であった。徳が高いため、リー・クォック・ス国師はリー皇帝が建設したバオ・ティエン寺の近くにある「清舎」(純潔な場所という意味)で仏教を研究することを許可された。その「清舎」は現在、リー・クォック・ス寺である。1136年、リー・クォック・スはリー・タン・トン皇帝の病気の治療に成功したため、国師となった。リー・クォック・ス寺にはトゥ・ドゥック8年(1855年)にレ・ディン・ズエン博士が当時の寺の修復に関する記述を石柱に残している。現在、リー・クォック・ス寺にはレ王朝の多くの仏像が残り、ザーロン年代巳亥の年(1815年)の鐘が現存している。リー・クォック・ス通りの真ん中に古い神殿がある。それはフウン神殿であり、25番地にあり、フ・ウン村の英雄であるファム・グ・ラオを崇拝する。1945年の8月革命の後、その通りはリー・クォック・ス通りとなった。

現在、リー・クォック・ス通りはフランスをはじめヨーロッパ、イタリア、韓国からの商品を販売する多くの店があるが、水牛の像、猫の像などのベトナムの伝統的な製品を販売するタン・ヴィエット土産店、Song Thu Gallery、手工芸品、写真、サパのトカムを販売するホアン・ディエップ・レストランも観光客に人気がある。通りの真ん中に日本、アメリカ、ドイツの楽器を20年間販売しているサオ・ヴィエット株式会社がある。

リー・クォック・ス通りは外国やベトナムの食品を売っていることでも有名である。伝説によると、18世紀にベトナムの有名な女性詩人ホ・スアン・フオン女史が多くのハノイの学者が集まる喫茶店を開いた。今でもリー・クゥック・ス通りの喫茶店はいつも賑やかである。Jambonのパン、クアン・ドンのアヒルの肉の店、イタリアのヌードル、ピザなどの外国の食べ物とフォー、鶏のお粥などのベトナムの食べ物は人々に人気がある。

たった長さ250mのこの小さなリー・クゥック・ス通りは昔から有名で賑わっていて、いつも客が溢れ、車が行き交う。訪れた観光客は誰もがこの通りの特徴からリー・クゥック・ス通りには過去と現代、新と旧が互いに混じり合っていることを感じ取るに違いない。

文:レ・フウ・トゥアン(Le Huu Tuan)
写真:ホアン・ザップ(Hoang Giap)

レ・フウ・トゥアン(Le Huu Tuan) - ホアン・ザップ(Hoang Giap)

ハンクアット通り

ハンクアット通り

ハンクアット(クアットは扇子である)通りにおいて扇子を作ったり、販売したりし、竹、葉、紙などの他の地方からの原料を生産したり、購入したりする。昔、ベトナムのフン・イエン省アン・ティyのダオサ村の人々は扇子を作る技術をここに伝え、スアン・フィエン・ティ(春の扇子の市場)と名づけた集会所(現在、ハンクアット通りの4番地を設立した。

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