ベトナムの首都ハノイのタイン・チ県タイン・リエット集落のトリック川のそばに、ベトナムの封建時代の歴史における特別な方であり、永遠にすべての世代の教師であるとみなされたチュー・ヴァン・アン教師(1292年-1307年)を崇拝する神殿がある。
ベトナムの教育の歴史において、チュー・ヴァン・アン教師は才能のある人であり、学生が成長する教えた方である。亡くなった後、チュー・ヴァン・アン教師はハノイの国子監と昔のタンロン城の古い村のチュー・ヴァン・アン神殿において崇拝されている。
チュー・ヴァン・アン教師はタイン・ダム県クアン・リエット集落ヴァン・トン村(現在、ハノイのタイン・チ県タインリエット)において、1292生まれ、1370年に死亡。

ハノイのタイン・チ県タイン・リエット集落におけるチュー・ヴァン・アン教師の神殿
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チュー・ヴァン・アン教師の像を安置している神殿の神棚
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行事、祭りなどにおいて村の人々が集まるチュー・ヴァン・アン教師の神殿
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神殿においてのチュー・ヴァン・アン教師の彫刻
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神殿においてのチュー・ヴァン・アン教師の彫刻
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書類によると、チュー・ヴァン・アン教師は若い時から、正直、清廉、利己主義ではなく、家において本を読み、官吏とならなく、ふるさとへ戻り、学校を開き、学生たちを教えた。多くの学生はチュー・ヴァン・アン教師に教えられた。その中、ファム・ス・マイン氏、レー・クアット氏は王朝の官吏となった。
そのため、チュー・ヴァン・アン教師は国子監(ベトナムの最初の大学)を管理することを任された。チャン・ズ・トン(1336年-1369年)王は国のことを管理する役割を果たさなかった。当時、アン教師は王に7人を死刑にすることを提出したが、王に拒否された。その時から、アン教師は辞任、ハイ・ズオン省チ・リン県フォンホアン山に戻り、学校を開き、その後、他界した。
王(1321年-1394年)はアン教師のことを尊重、文廟-国子監に崇拝するため、アン教師像を作った。
アン教師の神殿はレー・チュン・フン王朝まで、学士のレベルが高い村の方も崇拝、「工」の字のように設立され、3部分に分け、最も重要な部分は熟練に彫刻された神棚がある後宮である。
チュー・ヴァン・アン教師の神殿は何回も修復された。特に、タン・ロン(Thang Long)-ハノイ1000年大記念にあたり、多くの人々から寄金を集め、破壊された壁やキャンパスを修復した。
現在、チュー・ヴァン・アン教師の神殿はレー王朝とグエン王朝の遺物を保存している。1989年、国家レベルの文化遺跡となった。
文:フウ・トゥアン(Huu Tuan)
写真:タイン・ダット(Thanh Dat)
文:フウ・トゥアン(Huu Tuan)- 写真:タイン・ダット(Thanh Dat)