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発見

ソンタイ古城

ハノイからハイウェイ32号に沿って西へ45キロほど進むと、ソンタイ町に到着する。ここに約200歳の強固的な古城砦があり、それはラテライトという非常に特別な材料で建てられた。

 
ソンタイ古城はソンタイ町(ハノイ)の中央に位置して、Thuan Nghe (トゥアン・ゲー)とMai Trai(マイチャイ)という古代の二つの村に属す。これは軍事的な城で、ソンタイ地方にある豊富な原料であるラテライトで建てられた。お城はヴォーバン様式で建てられ、正方形のアーキテクチャを持ち、一辺の長さが約400メートル、高が5メートルで、お城の正面の門の幅は4メートルで、監視用の穴がたくさんある。昔、兵士たちは壁の後ろに隠れてこの穴から鉄砲を撃ったか、または敵が壁を登ろうとする時に槍を使って攻撃した。

ソンタイ城の門。撮影:ヴァン・チ

ラテライトで建てられた壁。撮影:チン・ヴァン・ボ
ソンタイ古城の旗竿。撮影:チン・ヴァン・ボ
 苔に覆われたNam Môn(ナムモン)門。撮影:ヴァン・チ


このお城には東、西、南、北という4つの方向へ向いている4つの門があり、それぞれ「 Tả、Hữu、Tiền、Hậu」(左、右、前、後ろの意味)と名付けられた。各門の上には一つの監視塔がある。 城の周りに、深さが3メートルで、幅が20メートルで周囲が約2,000 メートルの堀がある。防衛堀はお城の南西隅にTich Giang(ティック・ザン)川と繋がる。お城の主な軸はTiền門とHậu門を結ぶ軸である。

Kính Thiên(キン・ティエン)御殿。撮影:チャン・タン・ザン
 この工事の屋根システムは伝統的なアーキテクチャのスタイルを持つ。撮影:ヴァン・チ


城の中心から外側へラー•タンという外輪があり、土で築かれ、高さが3.5メートルで、形は五角形で、その外は竹で囲まれる。この外輪も東、西、南、北という4つの方向を向く4つの門が建設された。このお城の一部は現在ラー•タン通りである。

お城の中の、重要な建物は南北に対称的に建られている。一番真ん中は「Vọng cung nữ」(ボン・クン・ニュー、女子遠隔室の意味)であり、以前、王様が巡視する度に休憩したところで、そして、ソンタイ町での官僚が毎年恒例の儀式を行ったか、または王様からの詔書を受ける時に遠隔から礼拝したところである。

Kính Thiên(キン・ティエン)御殿の前はレンガで敷かれた広い庭があり、門の外はレンガの正面画像があり、その上に「long vân khánh hội」(ロン・バン・カン・ホイ、雲龍が出会う意味)が彫刻される。その隣は3つの入り口があるĐoan môn(ドアン・モン)であり、台座の上にラテライトで建てられた18メートルの高い塔に直接向いている。

西方にVõ miếu (ボミエウ)の神社があり、お城を守る戦いで死んだ人々を礼拝する場所である。お城の四隅には4つの正方形のウェルがあり、深さが約6メートルで、底までにラテライトの階段がある。その隣は大邸宅と各地方の所長官僚の裁判所(刑事司法、 受刑者の拘禁と囚人の斬首を行う所)である。東方には拘置所、食料庫とお城の中に駐留する兵士の妻と子どもの住居である。

1884年4月に書かれた回顧録に、フランス遠征軍の医師シャルル•エドゥアール•オカールはソンタイ古城内部のアーキテクチャについて次のように詳しく記述した:「内部には、18メートルの高塔(旗竿の意味)がある。残りは御殿、各地方の官僚の住居と食料庫である。塔の前に2つの大きな正方形の貯水槽があり、周りに防衛のレンガと手すりが囲んでいる。噂では、以前、その一つの貯水槽は駐屯地の兵士のため、もう一つは食事用の魚を飼うために使われた」。

1884年にフランス軍がこのお城を攻撃して占めた。 1924年に当時のインドシナの全権特命大使マーシャル・ヘンリ・マーリンはこの古城の痕跡をランキング付ける議定を発行した。特に、1946年12月にベトナム民主共和国の政府はここで重要な会議を開催した。

 お城を囲む堀。撮影:ヴァン・チ
二つの砲。撮影:ヴァン・チ
壊された門を完全に抱き込んだ一つの古木。撮影:ヴァン・チ
ソンタイ古城の国家歴史アーキテクチャ遺跡の一つのコーナー。撮影:ヴァン・チー

約200年を渡って、たくさんの戦争と時間が経過した後、ソンタイ古城は大半は破壊された。現在、わずかに街の壁、門、そして、監視塔、キン・ティエン御殿の床、井戸、二つの砲台などの痕跡だけがお城の中に残っている。

上記のような特別な価値で、1994年に文化情報省(現在は文化省・スポーツ・観光省)はソンタイ古城を国家歴史アーキテクチャ遺跡として認めた。2009年に、ハノイ人民委員会はタンロン- ハノイ1000年周記念のためにソンタイ古城の中のいくつかの遺跡の修復、再建、改築を決定した。

現在、ラテライトのソンタイ古城は、文化歴史と軍事建築の特色のある遺跡となって、多くの訪問者を引き付けている。春にソンタイ古城を訪問したら、訪問者はセルティスの木が新しい葉を見ることができる。それに、3月にボンボックスの木の花が真っ赤に咲き、秋に来ると、野生のGleditsia木は黄色の花を咲く。そして、何よりのものは数百年の古木が一年中、涼しい木陰を作り、ゴツゴツした長い根を伸ばして、苔に覆われた壁と門覆うくイメージは忘れられない印象を与える。

文:ビン・フン
撮影:ヴァン・チ、チン・ヴァン・ボ、チャン・タン・ザン

- 撮影:ヴァン・チ、チン・ヴァン・ボ、チャン・タン・ザン

ザオ族のトゥ・カイ儀式

ザオ族のトゥ・カイ儀式

ホー・タウ集落、タム・ドゥオン集落、ライ・チャウ集落で行われるザオ族のトゥ・カイ(カップ・サック)儀式は、通常、年の最後の数か月に行われます。これは、すべてのザオ族の男性の人生において特に重要な儀式であり、第二の名前を与えられて初めて成人とみなされ、家族や地域社会の活動に参加でき、死んだ時に先祖たちと再会できると考えられています。

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