ハノイの建築には魅力がある。伝統的建築とフランス建築は時間とともに存在する伝統と現代の特徴を有する空間を作り出した。
ハノイの伝統的建築は36通りとも呼ばれる旧市街で主に見ることができる。旧市街にはシュロの葉かココヤシの葉で作られた屋根のある小さな家が通りからもう一方の通りまで並んでいる。その家は小さな庭で仕切られた3つの部分に分かれ、妻が小売店主、夫が手工芸家という家族にふさわしい造りである。
 ハノイのハンコアイ旧市街の角
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 ハノイの古い村の家の門
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 家族の祭壇が2階にある居間
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 ハノイの古い家の伝統的な建築で作った木の階段
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 リラックスできる書斎
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 家の露天
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 レ・タイン・トン通りの旧東洋大学
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 アートデコ建築様式を有するベトナムの銀行
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 アートデコ建築様式を有するベトナムの銀行
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 ハノイのインドシナ建築様式を有するクアバック教会
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 クアバック教会の風が吹き、光がある場所
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 ハノイのフランス建築のオペラハウス
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 1911年に建設されたハノイオペラハウスの模様
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 フランスの取手
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 フランス建築の特徴を有する鉄、木の段階、模様
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 1091年に建設されたフランス建築様式を有するメトロポールホテルの前
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子供が成長し、結婚する時、両親から家の一部分を譲り受けた。必要なら、2階また3階などと家を増築した。そのため、広さが2から3㎡だけだが、「円周の家」と呼ばれる2階、3階の家がよく見受けられる。
各通りに昔住んでいた村の寺や殿がたくさんあり、色々な地方からハノイにやってきて、生活し、店を経営する人々の出身地の特徴が明らかになる。
ハノイには伝統的な建築の他、19世紀末から20世紀の初めまでのフランスの現代的な建築もある。ザロン王が4人のフランス人エンジニアの指導の下、1803年にハノイの城の修築を行ったが、それ以降ハノイにフランス建築が出現し始めた。
しかし、1875年までに多くのフランス建築が作られ、ハノイのかなりの面積を占め、芸術の特徴、技術構造、伝統的な材料が現在まで残っている。
東洋の大部分を占領した後、フランス人はハノイを東洋の首府にするためにハノイに大規模な建設事業を開始した。そのため全権府、裁判所などの殖民政権のシンボルが建築された。
20世紀になり1920年代、特に1930年代において、アートデコ建築はさらに発展した。多くの工事は正方形、長方形などで設計されているため、現代風なのに単純である。曲げた鋼鉄、セメント、石膏などで装飾される模様によってコンクリートが柔らかく感じる。東洋銀行支社、チャン・ティエン通り24番地のIDECO印刷所、チャン・フン・ダオ通り39番地AVIA会社、ディン・レ通り6番地の郵便局、ディン・ティエン・ホアン通り91番地、チャン・ティエン通り31番地、バ・チエウ通り、ハン・チュオイ通りなどの別荘はこの建築の特徴を有する。
しかし、その後、その建築様式の建物はハノイの伝統的な景色にふさわしくないことがわかったフランス人とベトナム人の建築家はベトナム、クメールの伝統的な特徴を有するインドシナ建築を作り出した。この特徴を有するのはレ・タイン・トン通り19番地の東洋大学、財政局、ファム・グ・ラオ通り1番地の歴史博物館、Pasteur病院、クアバック教会などである。
ハノイの教会、特にハノイ大教会、ホアン・マイ区の教会、ランタム教会はネオ・ゴシック建築の特徴を有する。その建築様式はフランスのゴシック建築の特徴を有し、ゴシック模様を使用した。ハノイのネオ・ゴシック建築はキリスト教会の建築と同じく、美的感覚がないが、歴史的価値がある。
ハノイの建築大学の修士チャン・クォック・バオ建築家、教師は「現在になってもハノイのフランス建築はまだ見事であり、首都ハノイの人々の使用需要に適応するインフラ、工事の構造の特徴を持っています。」と評価した。
時間が経ち、ハノイの建築と空間は前世紀より変わった。多くの道が建設され、拡張されている。多くの現代的な工事、ビルディングが首都の現代化事業として建設される。ハノイの昔の建築様式を持つ工事も変わってきているが、その親しみのある建築はハノイの人々の心に永遠に残っている。
文:チャン・チー・コン(Tran Tri Cong) 写真:タット・ソン(Tat Son)、チャ・ミ(Tra My)、ゴー・ズ(Ngo
Du)、アン・タイン・ダット(An Thanh
Dat) |