文化

リーソン島、非常な危険な場所

リーソン島はベトナムの前哨基地だけでなく、昔、国の主権を確認するように東海を越え、ホアンサへ向いたホアンサ海兵隊のふるさとである。現在、ホアンサ海隊の後輩は先輩に継ぎ、ベトナムの国の神聖な島を保護している。
ホアン・サ海兵隊のふるさと
リーソン島はクアンガイ省にある。現在、リーソン家族の遍歴資料の中で、17世紀の始め、大陸のサキにいる13人の魚民はクーラオレ(リーソン島の古名)に移り、家を建て、生活をした。
ベトナムの国家大学のグエン・クアン・ゴック博士の研究によると、サキと共に、リーソンはホアンサ海兵隊のふるさとであったという。昔、ホアンサ海兵隊は王の指令を受け、東海におけるホアンサ島チュオンサ島の主権を保護した。
ホアンサ海兵隊の歴史について、1776年にレ・クイ・ドン学者が書いた「撫邊雑録」という本は「グエン家族はリーソン県のアンヴィン集落から70人のホアンサ海兵隊を作り出した。そのメンバー1人づつ6ヶ月分の食料を与え、ホアンサ海兵隊の船は3泊、3日の後、ホアンサ島に到着した。」と書いた。1775年、王朝に提出したホアンサ海兵隊を再編成を希望するクーラオレのアンヴィン区の申し込みの中で、「今、私たちは外国人を含むホアンサ隊とクエフオン隊を作り出し、海へ出て、取った銅、スズ、アザラシなどを差し上げます。戦争が起これば、私たちは思い切り敵を戦います。戦争が終わると、私たちは許可を受けさせいただき、海へ出て、獲った海産を差し上げ、不満を言わず、力を尽くします」と書いた。

ホアンサ諸島の主権を護った時の、犠牲したリーソン島の兵士を奉った陰霊寺(撮影:トン・ティエン)

陰霊寺に保存されているホアンサ隊の兵士の名前が書かれた札と捧げ物(撮影:トン・ティエン)

リーソンにおいてのホアンサ隊の隊長であるファム・フウ・ニャット氏(撮影:資料)


ホアンサ隊の兵士の像とホアンサ隊の印(撮影:ヴィエット・クオン)

リーソン島でホアンサ隊の兵士を追悼する「レ・カオ・レ・テ・リン」。撮影:ダン・ラム)

リーソン島でホアンサ隊の兵士を追悼する「レ・カオ・レ・テ・リン」。撮影:資料)

リーソン島のアンハイ集落のダン家族のホアンサ諸島に関する資料を外務省に送る式(撮影:資料)

リーソン島のセンターに設置されたホアンサ海兵隊(撮影:ヴィエット・クオン)

ベトナムのトイ/ロイ山から見るリーソン島の一部の風景。(撮影:ヴィエット・クオン)

私たちはホアンサ隊に関する話を知る為にリーソン島を訪問した。リーソン島に残っているホアンサ海兵隊の兵士の墓の中、海岸でのニンニク畑の中に特別な墓がある。それは200年前のホアンサ隊の隊長であるファム・フウ・ニャット氏の墓である。墓の上に「ホアン・サ海兵隊のファム・フウ・ニャット隊長は1836年から、明命王の命令を受け、兵士たちと一緒に船に乗り、海へ行き、ホアン・サ島を調査、測量、主権の柱を打った」と書いた文が彫刻された。
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       「リーソン島はダオロン(別名クラオレ)、ダオべ(別名クラオバイ)とホンムクの三つの島がある。リーソン県にはアンヴィン集落(ダオロン)、アンハイ集落(ダオロン)とアンビン集落(ダオべ)集落がある。リーソン島の人々は海の海産物を獲ることとタマネギ,ニンジンを植えることで生活している。
私たちはホアンサ海兵隊のファム・フウ・ニャット隊長の5世代であるファム・トアイ・トゥエン氏と話した。広大な海の前で、自らが住んでいる土地を確認するように、ファム・トアイ・トゥエン氏はリーソン島のホアンサ隊に関する話を話した。明命14年に、明命王はホアンサ島で主権の柱を打つ人を派遣することを準備した。1836年、工作部が提出した資料で明命王は「ホアンサ島へ行く一隻の船に、長さが4,5mで、幅が5mで、高さが1mである10枚の木の板を運んでください」と書いた。当時、ファム・フウ・ニャット氏はホアンサ隊の隊長であると選ばれた。その後、海に永遠に残った。

トゥエン氏によると、当時,毎年旧暦の2月、ホアンサ海兵隊の70人はホアンサ島へ向き,旧暦の8月に戻った。別れる日は迎える日であり、神にいけにえをささげる日でもある。ホアンサ隊の兵士はいつ戻るかわからなく、死ぬ可能性もあるからでした。これまで、毎年、リーソン島の人々はホアンサ島を護るため犠牲になった兵士を追悼するように、「レ・カオ・レ・テ・リン」という儀礼を行う。その儀礼はベトナムの領土のため犠牲になった兵士の恩を思い出すリーソン島での大きな儀礼となった。

リーソン島を訪問すると、観光客は200年前ホアンサ島を保存する意志を表明する2行の文が見える。その文はリーソン島の13名の先輩を偲ぶアンハイ村の集会場の正面にかけられている。リーソン島の多くの場所で慰霊寺、ホアンサ隊の兵士の墓、アンハイ村の遺跡などのホアンサ海兵隊の遺跡が残っている。

ホアンサ海兵隊の兵士の子孫
観光客も現在、リーソン島の豊さを感じる。毎日、魚などを運ぶ多くの船が港に入ったり、出たりする。トイ・ロイ山から、4つの側にあるタマネギ、ニンジンを植える広い畑が見える。

現在、毎日、2便、高速の船はサキ港からリー・ソン島まで2時間あれば着き、リーソン島は大陸から遠くなくなった。

  数日後、リーソン島の漁師が獲った多くの魚が水揚げされた。(撮影:ヴィエット・クオン)

漁の後、網の補修をするリーソン島の漁師たち(撮影:トン・ティエン)

岸壁から離れて停泊している400隻以上の船(撮影:ヴィエット・クオン)

東海に向くリーソン島の灯台。(撮影:トン・ティエン)

リーソン島の四方は2千万年前に噴出した鉱石で囲まれているため、多くの見事な景色がある。他は、リーソン島はホアンサ隊に関する遺跡も残っているので、毎年、延べ数百万人がここを訪問する。有名なブンバリと呼ばれる海岸はドゥック寺の前にある。ドゥック寺の中に、高さが27mである東海に向く観世陰像がある。ここはホアンサ隊の兵士がホアンサ島へ行く前、訓練した場所であると言われている。

リーソン島の人民委員会のチャン・ゴック・チュエン会長は「リーソン島は見事で面白い観光地であり、神霊の要素があります。現在、リーソン県は観光を重視、経済を発展させています。」と述べた。

リーソン島の人々の伝統的な職業は海で海産物を獲ることである。現在、島には2500人が住み、400隻以上の船がある。私たちが島を訪問する時、漁民が出漁ための準備をしていた。ホアンサ海兵隊の兵士を奉った慰霊寺で、その子孫の一人であるファム・ホアン・ニョンさんと会った。ニョンさんは祖先に守り、多くの魚が獲れることを祈っていた。これは昔からリーソン島の人々の習慣となった。リーソン島のチュオン・ディン・ニャン船長は「私たちはホアンサ海兵隊の兵士の子孫ですから、海へ向くことは職業だけ出なく、祖先が島の主権を保護することを継ぐことです。」と述べた。


ニンジン畑に水を撒いている(撮影:ヴィエット・クオン)

リーソン島の特産であるタマネギ。(撮影:ヴィエット・クオン)

火山を訪問している観光客。(撮影:ヴィエット・クオン)

リーソン島を訪問している観光客。(撮影:トン・ティエン)

海産物を収獲する伝統的な職業の他、タマネギ、ニンジンも知られており、リーソン島のニンジンは全国で有名なブランドとなった。リーソン島はベトナムの「ニンジンの国」と呼ばれている。2009年、科学と技術省のベトナムの知識所有はリーソン島のタマネギ、ニンジンのブランドを批准した。そのブランドを外国の市場に近く出荷する計画を作り出している。面積10Km2の土地の内で、面積が300haがタマネギ、ニンジンを植える土地である。毎年、ニンジンが2000トン、タマネギが3500トンが全国で販売されている。リーソン島の人口の90パーセントはタマネギ、ニンジンを植えている。2012年の、タマネギ、ニンジンの売り上げは160億ドンである。

現在、リーソン島は大きく変わっている。昔のホアンサ海兵隊の意志は、島の人々に力を伝えている。リーソン島の人々も力を尽くし、国家の島の主権を守っている。
文:トン・ティエン
撮影:ヴィエット・クオン、トン・ティエン、ダン・ラムと資料

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