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ホーチミン主席の救国の道の模索 民族解放事業に道を切り拓く

110年前の1911年6月5日、グエン・タト・タインと名乗っていたホーチミン主席はベトナム民族をフランス植民地主義者の支配から解放させようとして、ホーチミン市の旧称サイゴンにあるニャロン港を出港し、救国の道を探しに行きました。 ホーチミン主席の救国の道の模索 民族解放事業に道を切り拓く - ảnh 1 30年間にわたり、ホーチミン主席はおよそ30か国を回った後、マルクス・レーニン主義を納得しました。中央宣伝教育委員会・政治理論局のドアン・バン・バウ局長はVOV=ベトナムの声放送局のインタビューに応え、次のように語りました。 「ホーチミン主席の救国の道を探す旅は民族を解放するための原理を求めるものです。ホーチミン主席は慎重に配慮した後、出国を決めました。多くの浮き沈みを経て、レーニンの学説にアプローチしました。」 ホーチミン主席の救国の道を探すための旅はベトナムの民族解放のための闘争歴史に輝かしい節目をつけたとしています。 ソース:VOV

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