リー朝(1009-1225)の時代から、フン・カイン寺やデ・ティック礼拝殿(俗称ヴア寺)はホア・ビン市場がある繁華街、ハノイ市ハイ・バ・チュン区ティン・イェン町17番にある。ハノイ市はタンロンの都の一つであった。ベトナムの民間伝説ではデ・ティックは将棋が一番上手な人で、起死回生に長ける人だと言われている。
 伝統的な将棋大会がよくおこなわれるハノイ市ティン・イエンのヴア寺。
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 デ・ティック(将棋の王)礼拝殿
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 ヴア寺での将棋大会
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 後、ホアン・キエム湖のゴック・ソン寺で将棋を楽しむ。
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 文廟-国子監で将棋を指す人
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 80年間、将棋を指すレー・ウイ・ヴェ棋士(93歳)
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ヴア寺にあるデ・ティック像「将棋の王」は皇帝の姿のように作られ、鎧を纏い、帝冠を被っていた。ヴア寺は会堂を有するのみらず、入り口の門の前に将棋盤や優秀な人の名を書いた堂もあり、毎年、旧暦の一月六日から九日の間、伝統的な将棋大会を催す。毎年、ヴア寺の将棋大会は多くの観光客の興味の的である。村の慣例によると、3年間続けて優勝した者は優秀な人の名が書かれた所に氏名が記され、貴重な将棋盤を授けられるという。それから、一年間、デ・ティック礼拝堂に将棋盤を祭った後、勝者はこの将棋盤を持ち帰ることができると言われている。
私たちは偶然にヴア寺で二人のベトナム将棋会の長老に会った。一人は93歳で、80年以上も将棋を指すレー・ウイ・ヴェ老人(1939年、1940年、1941年の勝者)、もう一人は80歳で、64年間も将棋を指すグエン・タン・ト老人(1953年、1954年、1955年の勝者)である。ト氏は「昔のタンロンの都の将棋大会はハノイのドンニャン寺、ザー・ラム県のフーニン祭り、ドン・アイン県のコーロア寺、トゥ・リエム県のチェン庭、ドンダー丘陵、文廟-国子監などでよく行われました。」と述べた。
将棋を指す形式には色々ある。例えば「人間将棋」;太鼓のメロディーや打ち方によって駒となった人が動く。男は赤軍、女は黒軍、「テーブル将棋」;方眼の盤の上で木の将棋の駒で指す、「芝生将棋」;芝生で将棋の柱で指す、「電気将棋」;格子状の線に沿って電気の明かりが付いていて、毎回、一指する前に金雲翹の一節を引用する、「吊り将棋」;将棋盤を吊るして、差し手を論ずる観客に見せる、「扇子将棋」;折り畳んだ扇子で駒を指す・・・などである。将棋のそれぞれの駒には名前がはっきり書かれ、16個の赤色と16個の黒色の駒で一揃えになっている。駒を進める原則は、馬は縦横斜め、象は斜め対角線に2コマ、車は縦横真っ直ぐ、大砲は・・・将軍の進む道がすべてなくなったら負けとなる。将棋はじっくり考えて、指し手が次にどうなるか先を見なければならない。
長い年月が経ち、ハノイのブア寺での将棋大会は国際競技形式に従って荘厳に開催され、ベトナムの棋士にとって生誕の地となっている。
この闘いの場から、グエン・ヴー・クアン棋士が2007年、2008年、2009年と三年連続でベトナムの勝者に成長し、世界中のベトナム将棋仲間に栄光をもたらした。
記者:ヴィン・フン(Vinh Hung) 写真:ホアン・ジャップ(Hoang Giap)、資料 |