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「上空ハノイ・ディエンビエンフー」勝利50周年記念式典

26日午前、ハノイで、ハノイ市は国防省と協力して、「上空ハノイ・ディエンビエンフー」勝利50周年を記念する式典を行いました。

今から50年前の1972年12月18日から29日まで、アメリカ軍はベトナム民主共和国(北ベトナム)の二大都市であるハノイとハイフォンへの爆撃を主とする作戦を行いました。「ラインバッカーⅡ作戦」と呼ばれたこの作戦は最終段階に来ていたパリ和平交渉の最後の圧力となることが期待されていました。この 12 日間の爆撃(クリスマス爆撃)に対するベトナム軍の反撃が、成功裏に終わったことが和平協定を導いたものとしてベトナムでは「上空ハノイ・ディン ビエンフー」ともいわれています。

「上空ハノイ・ディエンビエンフー」勝利50周年記念式典 - ảnh 1式典で発表しているズン委員長

式典で演説に立ったハノイ市党委員会のディエン・ティエン・ズン委員長は、「ラインバッカーⅡ作戦」で、アメリカ軍は、当時アメリカ軍が所有していた戦略爆撃機B52型機の約半分にあたる193機のB52型機、および1千機以上もの軍用機を動員したものの、周到な準備と必勝の精神により、ベトナム防空・空軍はこの12日間で34機のB52型機を含むアメリカ軍の戦闘機81機を撃墜したと明らかにしました。また、1972年のこの勝利は抗米救国闘争の決定的な岐路となり、重要な意義があったと述べ、次のように語りました。

「ハノイは常に、1972年の上空ハノイ・ディエンビエンフー勝利を始め、かつての民族解放事業で積んできた貴重な経験を現在の建設事業に柔軟かつ適切に活用しています」

一方、空軍司令部の元副司令官ファム・トゥアン中将は次のように語りました。

「『上空ハノイ・ディエンビエンフー』勝利は軍事・政治・外交の面でも戦略的にも戦術的にも大規模かつ全面的な勝利で、防空・空軍の素晴らしい戦闘能力を示しました。現在の防衛建設事業においても、防空・空軍は益々近代化しており、万が一に対応できる態勢を整えています」

なお、アメリカ軍の「ラインバッカーⅡ作戦」では500 人近くが死傷し、約2000 戸の家屋が全壊もしくは一部損壊しました。

ソース:VOV


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