発見

神秘なチャウバン

この最近、ハノイのフランス文化センターで2夜を通じて行われた、チャウバン歌の芸術を保存・敬意する目的で、べトナムのチャウバン保存クラブはこの芸術のショーを開催し、多くの観衆の関心を引き付けた。
伝統的な歌の芸術としてのチャウバンはまたハットバン(詩の歌)、ハットボン(影の歌)とも呼び、北部の平野に起源し、主にナムディン省とハノイ周辺のいくつかの地域に集まっている。お祭りで民俗公演の形に由来したチャウバンはベトナムの民間信仰の一つである四府信仰(母道)とホーリートラン(ホーリーヴォントラン・フン・ダオ)の礼拝信仰のドン法師儀式に関連付けられて生まれた。神聖的な音楽と練った詩を使用することにより、チャウバンは精神奉仕を意味する歌の形式と見なされる。 

崇拝の場の寺院の空間は霊媒師とチャウバン歌により常に神を尊厳している。

ドン法師の人は霊的な世界と現実の世界を結ぶ霊媒師である。

チャウバン歌は長歌の歴史を持ち、他の民謡などよりも早く生まれた。「キエン・バン・ティウ・ルク」の本の中で、レー・クィ・ドン学者(1726年~1784年)は次のように書いた:「トラン時代(1225年~1400年)は皇帝の前で歌う形式で、それはハットチャウと呼ばれる」。チャウバン歌はハットティ(長唄)、ハットトゥ(礼拝の詩)、ハットレンドン(奉仕の詩)という多くの演じの形式がある。ハットティは歌唱コンテストで使われ、通常は一人で歌う。ハットトーは旧暦の1日、15日、儀礼日、聖人のパーティーの日に歌われる。ハットレンドンは霊媒の儀式を行う時に使われる。ハウドンとは四府の聖人の魂を霊媒師の体に乗り移す儀礼でこの儀式で歌われるのがチャウバン歌である。踊りの後、聖人は通常休憩して、クンバン(チャウバンを歌う人)が説いていた聖人の伝説、根拠を歌ったり、話したりする。

ハノイにおけるフランス文化センターでの2夜のショーはチャウバン芸術の形成・発展の歴史を紹介しただけではなく、チャウバン芸能の演じられた空間が現在の民衆に馴染みのある神社や都の空間であることを再現した。そこで、霊媒師は通常母親礼拝仏壇の前で聖人を奉仕する。その両側はクンバンがいて、ハウボン(影の奉仕)とあわせて奉仕の歌を歌う。古代人はそれが人々が母親と聖人と会話し、感謝の気持ちを表し、良いことを祈る有効な方法だと考えた。
 

チャウバン歌と霊媒師の演舞でのスピリチュアル。

チャウバン芸の内容は通常神を聖霊する。

霊媒師の演技形式はチャウバン歌と霊媒師の踊りの芸で非常に際立つ。

霊媒師の人の感情は各物語りの背景に応じて変わる。

各背景に応じて衣服が替わる。

霊媒師の踊りの一つ。


霊媒師の舞とチャウバン歌は伝統的な演舞芸術と精神的な要素を持つ。


各共演者(チャウバンを歌う人)は聖霊の美徳を賞賛する曲を演じる。

ドク・ハイ(ラッパ)、バン・カイ(しべ)、タン・ハ(三十六弦の楽器)、スアン・ズン(横笛)、タン・ゴアン、バン・チュン、カック・トゥなど、時間が経つにつれてチャウバンに関わって有名になったアーティストの参加及びハット・バン、演技、特に「クアン・タム・フ、クアン・トアン・チャン、チャウ・デ・ニャト、チャウ・デ・ニィ」などの円熟した芸を通じて、この2夜の公演に主席した民衆がこのユニークな伝統芸術についてより理解できるようになった。


ベトナムのチャウバン保存クラブの会長であるゴー・ドク・ティン教授は次のように述べた:「チャウバン歌は高い芸術的価値を持ち、国内の民衆及び国外の友達にさらに広く普及させる必要がある。そうすると、皆はこの文化遺産についてより詳しく理解して、それを保存・振興する意識を持つようになる」。伝統音楽の中で独立した音楽の一種と考えられるチャウバンは世界の無形文化遺産になるための十分なアート的要素を持っている。
文:トク・ヒエン
撮影:チン・ヴァン・ボ

top