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ベトナム武道 ボビナム

ボビナムの指導者レー・サン( Le Sang) 館長はベトナム武道・ボビナムの創始者である故グエン・ロック ( Nguyen Loc) (1912-1960)創始者の最も優れた教え子である。武術に関する深遠な知識を持っているレー・サン氏はこの70年間、ボビナムの成立、発展に大いに貢献してきた。これにより、現在、ボビナムはベトナムの代表的な格闘技となった。

ボビナムの指導者レー・サン( Le Sang) 館長はベトナム武道・ボビナムの創始者である故グエン・ロック ( Nguyen Loc) (1912-1960)創始者の最も優れた教え子である。武術に関する深遠な知識を持っているレー・サン氏はこの70年間、ボビナムの成立、発展に大いに貢献してきた。これにより、現在、ボビナムはベトナムの代表的な格闘技となった。

レー・サン氏は1920年、ハノイにあるチュック・バック( Truc Bach)湖の湖畔にある小さい家に生まれた。20歳になった時、重病にかかった彼は歩くことも困難だった。母の勧めで、健康増進の為、格闘技を教える指導者を探しに行った。レー・サン氏はいい縁に恵まれ、当時、グエン・ロック創始者が教えていた武道場を見つけた。聡明で、勤勉さを持ちながら、武術にかかわる天賦の才能に恵まれていた為、ボビナムの練習を始めてから数年後、グエン・ロック創始者はレー・サン氏をハノイ市の北部フー・トー省( Phu Tho)、ソン・ティー省( Son Tay)ビン・エイン省( Vinh Yen)、イエン・バイ省(Yen Bai)などへボビナムの指導を行う為に派遣した。


現在、世界的な武術となってきたベトナム武道ボビナム。


第1回世界ボビナム選手権大会


第1回世界ボビナム選手権大会で演技するフランス人のボビナム武術者。


ボビナムを練習するベトナム武術者。


教え子から祝福の花を受け取るボビナムの館長。

1940年代、ベトナムを支配していたフランス植民地主義者はボビナムの普及を禁止した為、各武道館は3ヶ月間の訓練コースしか開いていなかった。その時、レー・サン氏はフランス軍との戦闘能力を高めるため、各地方の民兵を対象にボビナムを教えた。その当時を振り返って、レー・サン氏は嬉しそうに「当時、我々は20歳代で、貧しかったが積極的に取り組んでいました。」と言った。

1954年以来、レー・サン氏はグエン・ロック創始者と共に、南部に向かい、ボビナムの教育、普及に力を入れた。その時、グエン・ロック創始者は重病に係り、息を引き取った1960年に、レー・サン氏にボビナムの館長職を譲った。しかし、その年末、柔道家の一人が政権転覆を図った活動に参加した為、サイ・ゴン傀儡政権はすべての門派の武術の活動を禁止した。その為、レー・サン氏は武術の指導をやめ、農園経営に乗り出した。その4年後、各武術の活動が許可されたため、レー・サン氏はサイ・ゴン市に戻った。そして武術者や学生を集め、武道館を再開し、門派の規則やカリキュラムを作成し、門派の道着を現在のような青色に変えた。レー・サン氏は当時、南部の武術総局の理事長に選出された。1970年代以来、レー・サン氏はフランス、イタリア、ドイツ、スイスなど世界各国にボビナムを普及する計画を立てた。

1990年、ロシアで行われたホーチミン市の武術者の公演が成功した後、ボビナムが始めて多くの世界に普及されるようになった。現在、世界ボビナム連盟の加盟国は28カ国となり、練習生の数は10万人にのぼり、その中で、ベトナム人の練習生は4万人である。2009年、ホーチミン市で第1回世界ボビナム選手権大会が開かれ、世界14ヶ国と地域からの代表が参加し、30種目の競技が行われた。世界のボブナムの武術者がボビナムの発祥地に集まったのは今回が初めてとなる。その直後行われた第3回アジア・インドア・ゲームで、ボビナムは正式な競技種目になった。この二つの出来事は世界スポーツ界におけるボビナムの地位が確立されてきたことを示している。

今年、90歳になったレー・サン氏はこの70年間にわたり、ボビナムの訓練や指導に励んできたが、今も元気で、武術者長老として優れた力を発揮している。現在、レー・サン氏はボビナムの精神面での指導者となり、武術の研究と書籍の執筆に時間を割いている。この数十年以来、ホーチミン市第10区スー・バン・ハイン( Su Van Hanh) 通り31番地にあるレー・サン氏の自宅はボビナムの共通の武道館となり、ボビナムの各門派の活動を指導する場所である。

文:バン・クイ ( Van Quy)
写真:クアン・ミン( Quang Minh) 、ミン・コック( Minh Quoc) 、及び、資料写真


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