地方の潜在力

ビエンホア(Bien Hoa)陶器

ドンナイ(Dong Nai)省のビエンホア陶器は19世紀の後半~20世紀の前期において、世界の陶器分野で有名であった。今まで、この時期におけるビエンホア陶器は古い陶器の収集家にとって、稀少な物である。

ビエンホア村は東洋地域での最初に設立された陶器職業教育学校がある。同学校はビエンホア職業教育学校であり、1903年に設立された。1913年まにビエンホア美術工芸学校になった。1923年、Robert Balick 校長Mariette Balickさんは夫人(陶器学部の学部長)がビエン・ホア美術工芸学校を指導することはビエン・ホア陶器の質を革新させたを歴史的な時とみなされる。Mariette Balickさんは陶器学部の特別な方針を作り出した。彼女の方針はカラフルな色、多様な模様で、飾られる陶器を生産することである。 


型枠で形成されるビエンホア陶器の製品
形成された後、陶器は天日で乾かされる。

陶器の製品を飾る工員たち。

ビエンホア陶器村の女の人.

陶器製品を作る陶器職人
陶器を焼く工員たちは炎を見て、窯炉の適切な熱度を調節する。

窯で焼かれた後、製品を検査する。

陶器製品を生産する工員。

庭に陶器の製品を収集する。

ビエンホア陶器村の100歳になる窯炉
ガスで、焼く現代的な窯炉


ビエンホア美術工芸陶器製品は20世紀の前半において、欧州、アジアで名のある陶器であった。1925年、ビエンホア美術工芸学校の陶器製品はパリにおいて行われた国際展覧会に参加し、国外の人々に深い感銘を与えた。この展覧会において、ビエンホア村の陶器製品はすべて売られ、多くの他の注文を受けた。フランス政府はビエンホア陶器に、賞状を授与し、国際展覧会の開催委員会はビエンホア陶器に金メダルを授与した。その後、1933年にパリで、開催された国際展覧会において、ビエンホア陶器はフランス市場、国際陶器市場のシェアを大きく占めた。ビエンホア美術工芸学校の陶器製品は名古屋(日本)で、1937年に行われた展覧会、ハノイで、1938年に行われた展覧会、サイゴンで、1942年に行われた展覧会、カンボジアで、1957年に行われた展覧会などの国内外の陶器展覧会に連続に参加された。
現在、ビエン・ホア陶器職業は40の仕事場で、ビエンホア市のブウロン(Buu Long)地区、タンヴァン(Tan Van)地区、タンハン(Tan Hanh)町、ホアアン(Hoa An)町で発展している。すべてほとんどのビエンホア等既製品は外国に輸出される。
ヴォンキエン(Vong Kieng)ドンナイ省の手工芸の陶器協会会長は、ビエンホア陶器製品は特別で、美しく、ベトナム人、中国人、チャム(Cham)民族の3民族の3類の陶器技術の結合である製品です。」と言った。

私たちはグエン・ヒュー・タン(Nguyen Huu Tan)職人のファット・タイン(Phat Thanh)陶器工場を訪問した。タン氏の窯炉は約300個の陶器製品を生産できる。約30人の陶器職人はこの場所において、陶器製品を生産する。ファット・タイン(Phat Thanh)陶器工場は5千平方メートルの面積がある。タン職人は「この場所は私の陶器工場の一つです。陶器職業をする50年間を渡って、私は常に、祖先の伝統的な職業に熱心に保存します。」と言った。

ビエンホア陶器の特徴を出すために、製品は多くの要素を含んでいる。施釉技術は重要である。このことは製品の色と関連する。それで、各陶器製品工場は施釉技術で、競争する。それぞれの陶器工場は施釉技術に関する極秘がある。そのほか、陶器を焼く方法は重要である。陶器を焼く工員は多くの経験がある人である。彼らは適切な窯炉の熱度を調節するために、目で、窯炉の温度を正確に確定する。
 


鋳型で、鋳造された後における粘土の像
丈夫な植木鉢は高い熱度で、焼かれる。

ビエンホア陶器村の新たなスタイルの陶器製品。


ビエンホア陶器製品は芸術価値、高い利用価値がある。植木鉢、像、動物の像などの美術陶器製品は多様な種類があり、現代的なスタイルで、飾られる。そのほかに、ビエンホア村は自然の美しさがあるせっ器(赤い陶器)で、有名であり、人気がある。

現在、陶器業の輸出収入は1年当り100万ドルに達する。10年前と比べ、現在の平均的な収入は減少した。それで、ビエンホア陶器職業を開発するために、地方の政権の援助と多くの人民の熱意が必要である。
ロマンチックなドンナイ川沿いでは、300歳のビエンホア陶器村はまだ、存在し、引き続き発展してきた。

文:グエン・オアン(Nguyen Oanh)
写真:グエン・ルアン(Nguyen Luan)


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