文化

ダラットフラワーのブランド

2011年12月30日から2012年1月3日にかけて行われたダラットフラワーフェスティバル2012年に、ベトナムの首相はダラットが「ベトナムのフラワーフェスティバルシティ」であることを認め正式に決定した。それはダラットフラワーブランドが益々繁栄される確かなことを意味とする。

伝統的な花栽培職業から

誰もが一度ダラット高原に来たら、ロマンチックな山の町は1年中松林の影で涼しく、何千本のピンクや紫色の花で壮大なイメージを忘れられないと思う。

海抜1500メートルにあり、周りは高い山々に囲まれているダラットは一年を通じて穏やかで涼しい山の気候に恵まれ、四季の野菜や花の栽培に非常に適する所である。

1938年以来、ハノイでのギー•タム、クアン・バという花村からの人々がダラットに移行し、今のダラットでの花栽培職業を形成した。

ハノイの人々はこの山の街に来て、きれいな空気、良い土壌ということを理解して、野菜とグラジオラス(glaieul)花に特化するハドン村を設立した。その時点の耕作方法は非常に簡単である。花を植える人は自分で苗を作り、花の肥料については主にダラット高原に自生する野生ヒマワリの幹から醸成した有機肥料を使った。時間が経つにつれて、花栽培職業は徐々にチュオン•ソン、チャム・ハイン、スアン・タン、タイ・フィエン、ヴァン・タン等の村、そしてホー•スアン•フォン、ヴァン・キェプ、グエン・トゥ・ルク、ミモザ等の村までに広がった。
 

菊作りで有名なタイ・フィエン村(ダラット)。

何千万本の花で花々しいダラット街。

ダラットは庭園の真中にある古代でロマンチックな邸宅で有名である。

ダラットの花農家はメッシュモデルで花を生産する。

スァン・フォン湖(ダラット)の湖畔での花々しいチューリップの庭 。

ダラットフラワーフェスティバル2012年のオープニング・ナイトでの花パレード。

ダラットの花生産者の喜び。

しかし、前世紀の90年代までは、ダラットの花の名はバラの切花という主な製品を提供しているヴァンタン村で知られるようになった。そして、2009年12月に、タイ・フィエンの花村はラム・ドン省の人民委員会により地方で始めての伝統的な村として認められた。タイ・フィエンはヒメアリアケカズラ、マーガライト、ガーベラ、赤い菊、アジサイ、バラの花などで有名である。

2011年に、ラムドン省の花の栽培面積(主にダラット市)は3862ヘクタールになり、産量は約14億の切花に達した。そのうち、53万本を輸出して、2200万ドルの売上高を達成した。シンガポール、中国、日本などの大きな市場以外、ダラットの花はバラ、カップ、蘭、菊などの強い製品で欧州、北米の市場を征服し始めた。
特に、1995年に入って、ダラットでの花栽培職業はダラットハスファームという「インダストリアル花の村」(100%外国資本)の出現で本当の 「最盛期」になった。 最初の2ヘクタールを超の農園から、このハイレベルな施設での花生産の花村は豊かな種類で、花々しい色の多くの切花と鉢植えの花を誕生させた。ダラットハスファームの誕生は地元の人々の伝統的な花栽培方法についての考え方を変更させた。ライトの照明で花を暖めさせる方法により、ダラットハスファームは様々なデイジー各種を成功に生産して、ちょうど正月の時に咲かせるため、高い価格で販売でき、従来の方法よりずっと経済的な効果をもたらした。このようなダラットハスファームのやり方こそで、タイ・フィエン、チャム・ハイン、ダ・ティエンなどの花村の人々が現代的な花栽培方法に移行することを刺激した。

ダラットフラワーフェスティバル2012年の直前にタイ・フィェン(ダラット、区12)の花村に行くと、地元の人々はほぼ既に花を切り終え、旧正月に販売するための新しい後生の花を生産する準備をしている。タイ・フィェンの平和で素朴な花の空間で歩いている私たちは、ここでの人と草木の植栽の間の密接な関係を確実に感じできるようになった。

グエン•ヴァン•フォン(16歳)は次のように言った。「私の家族は3000平方メートルの花栽培の温室を持っている。家族の手伝い以外、村での人々にフェスティバル用の準備のために、花の収穫や花の世話をすることも手伝っている」。現在、タイ・フィェンで90%以上の家庭は花栽培業で生計を立て、年間平均売上高は1ヘクタール当たり500万ドン(約2万円)以上になる。今のタイ・フィェンの消費市場も全国に拡大され、輸出市場に参加してダラットの花収率の約5%を達成している。

ブランドの発展まで

先進科学技術の生産への適用の展開時(1995年)以降、ダラットの花栽培産業は大きな進歩を遂げた。現在、ダラットは何百ものベトナム固有の花とエキゾチックな花の品種を持つ豊富な花バンクを構築でき、疾病のない花を作るために組織培養技術を応用する目的で35軒以上の研究室を建てた。各企業、農場、協同組合、各農園は温室技術、メッシュ室技術、点滴灌漑(ドリップ)技術、そして組織培養技術による生産された苗で花を植えることなど、高度な技術を応用し花に適応した生産方法に果敢に投資している。


ダラットフラワーフォレストバイオ株式会社の花苗保育の照明技術ライン。

ダラットフラワーフォレストバイオ株式会社の組織培養室。

花のルーツの開発を検査している。

点滴灌漑技術はダラットでの花苗保育園でよく使用されている。

市場に出す前の切花のカーネーションの品質を検査している。

外国人観光客はダラットの特徴の花であるオーキッドの美しさを大変好んだ。

また、花栽培の地域は花生産業界の発展のために、研究、技術移行、人材資源の訓練を行う目的で各センター、研究所、大学などとの協力も強化している。特に、各花栽培地域では生産工程の促進、消費能力の強化、市場の拡大などを実現するために、地元の農民が自発的に農民同士での連携や、各企業、益々多様団体との連携を行うことも督励する。従って、ダラットの高級な花製品は種類がで豊富になり、国内市場を満たすだけでなく、輸出もされる。

ベトナム最大の花ショールームとして認められたダラットフラワーフォレストバイオ技術株式会社の花ショールーム(マイ・アイン・ダオ、7A/ 1、)を訪問して、花の生産と保管の分野での高度な技術の応用の意味がよく理解できるようになった。花のカラフルの空間の中にいて、何百人の国内外からの訪問者は多くの異なるスタイルで花瓶に生けた花と新鮮な花で作られた絵の美しさについて驚ろかされた。これらの花は日本の技術で保管され、3年~5年新鮮さを保つことができる。

同社の社長であるグエン•ディン•ソン氏によると、彼の企業が東南アジアにおいて工業的規模でINVITRO方法(組織培養)で苗を生産する方法を初めて適用した企業である。特に、同社は近代的な設備を整える2.000平方メートルの農園を持ち、生産能力が年間平均1200万本の苗を生産している。そのうち、ユリ、ガーベラ、セーラム、ビビ、紫星、デイジーの各種、アジサイ、蘭のような有名な花の苗と300本以上の盆栽がある。 2006年に、同社はベルギー市場へ100万本の苗木を、2008年に4百万の苗木を輸出して、2010年にニュージーランド、オランダ、ベルギー、中国などの市場へ700万本の苗木を輸出した。

これまで、ダラットは何千もの国産とアジア(中国、日本、インド、タイ)、欧州(フランス、オランダ)、アメリカからのエキゾチックな花の苗を含む400種の品種と、外来種の新しい200種の花の苗を持っている。これらの数千の花の苗から、農家や企業はハイテク科学を利用して大量生産しているので、現在のダラットの花の種類や品質はもはやフランス、オランダ、ブルガリアなどといった世界の古い花栽培職業を持っている国に負けないようになった。

特に、ダラットフラワーフェスティバル2012年の際に、ベトナム首相はダラットが「ベトナムのフラワーフェスティバルシティ」であることの認めを正式に決定した。その前、2011年12月26日に、ダラットの花も知的財産部により商標証明登録書を交付され、その所有者がダラット市の人民委員会である。それにより、これから、ダラットフラワーのブランドは正式に認められ、表彰されることになった。これは、ダラットの人々のプライドだけでなく、大きな責任であることも考えられる。なぜかというと、これからは、ダラットの人々と政府が何等かの方法で自分のブランドを保護し発展させて、花生産業界が地方の経済・社会・観光の発展の促進における強い分野になるように努力しなければならないことである。

花栽培業の開発と平行して、ダラットは自分の花ブランドの広告の強化も行っている。その中で、ダラットフラワーフェスティバルを2年に1回定期的に開催するイベントがある。ダラットフラワーフェスティバル2012年には各主催者は「ダラットの郷愁の花の丘」スペース、花観光、ダラットフラワー市、「花と光」のストリートフェスティバル、「ロマンス宮殿フラワーストリート」などの様々なテーマで特別な花を紹介する多くのプログラムや展覧会を行った。さらに、花に関する調査コンテストやシンポジウム、そして他の多くの紹介、広告や投資促進のプログラムも行った。
文:グェン・ブ・タン・ダット
撮影:レ・ミン
 

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