ライティウはもともと多くの森林がある野生の土地であったため、材料である木材の豊かな供給源のおかげで、ここでの大工仕事は非常に早くから発展していました。フーロン村ですりこぎ棒やまな板を作った経験がある人によると、この工芸村の創設者はハイ・ティエットさんだそうです。当初、村の大工仕事の作業場で余った丸太をまな板として利用していました。原材料が十分に供給されるようになり、地域の人々のニーズを知ったハイ・ティエットさんは販売用のまな板を作り、その工芸品を子孫に伝えました。前世紀前の1960年代に工芸村が徐々に形成され、ハイ・ティエットさんに感謝の意を表すために、村人たちはハイ・ティエットさんをハイ・トット(まな板)と呼ぶようになりました。
現在、フーロンすりこぎ棒とまな板工芸村には大小20以上の作業所があり、一年中稼働しています。以前、作業所では約20人の作業員がまな板を1日当り300枚しか生産できませんでしたが、現在では機械も活用することで1日当り2,000枚のまな板を生産できるようになりました。多くの大規模生産施設ではフーロンすりこぎ棒やまな板製品も商標登録され、スーパーマーケットで販売されたり、海外に輸出されたりしています。
私達はフーロンタン社のグエン・クアン社長に会いました。彼はすりこぎ棒とまな板の製造に献身的かつ情熱的に取り組み、この製品を海外に広めるのに尽力した人物です。クアン社長によれば市場競争に直面する中で、美しく高品質な製品を生み出すために消費者からニーズを学んでいるそうです。1997年までに多数の小規模な作業所を集め、フーロンすりこぎ棒とすり鉢、まな板を大胆に商標登録し、これらの製品をスーパーマーケットで販売し始めました。これがクアン社長が自社の製品を海外で消費してもらうために多くの海外在住のベトナム人と連絡を取り続ける動機となっています。そのお陰で、フーロンすりこぎ棒とすり鉢、まな板は新たな方向に進み、米国、フランス、韓国、日本などの国々の市場に参入することができました。
まな板を完成させるには、20の工程を経る必要があります。まな板となる木材が伐採されてから最長4か月間、段階的に作業が行われます。まな板の各工程で木材の乾燥が最も重要であり、製品のカビを防ぎ、品質、安全性、衛生を確保するための乾燥方法を考案したのがクアン社長でした。社長は多くの実験を行った結果、各まな板を鋸で適当な厚さに切った後、600℃〜800℃のオーブンに10〜15分間入れるという乾燥方法を発見しました。乾燥後、両面を整え、研磨し、最後に光沢を出す薬剤をスプレーすることで、まな板の表面を常に美しく、光沢のある状態に保ちます。