27/03/2012 11:20 GMT+7 Email Print Like 0

日本の大震災-津波の二重災害のイベント(2011年3月11日~ 2012年3月11日)
ベトナムからの実感

日本の大震災-津波の二重災害(2011年3月11日 ~2012年3月11日)から1年を経て、“東日本の大震災についての記憶”をテーマにした、ドキュメンタリー、災害の映像及び日本人の生活復興活動を紹介するプレゼンテーションプログラムは日本国際交流基金-日越文化交流センターによりハノイとホーチミンで開催され、多くのベトナム人の注目を浴びた。
ハノイ教育訓練局のスタッフであるグエン・ティ・ヒエン氏は次のように言った:「日本の東北地域の人々が受けた災害は想像を超えたものである。私も水戸に住んでいる里親がいる。水戸は直接の災害は受けなかったが、長期的な停電、断水の影響を受けている。私は6年間も水戸に住んだことがあり、日本人のことがとても大好きである」。ドキュメンタリーかつ間接的な映像を見ただけでも、ヒエン氏は日本人に起きた災害の恐ろしさを目の当たりにしたときに何度も流れ出た涙を擦った。
大震災についての映像を見たときに、タンロン技術大学のスタッフであるフイン・ムイ氏は次のように言った:「私は日本人の喪失の痛みを共に分け合いたいと思う。それに本当に日本人の努力を賞賛したい。私が見たのは日本人が実際に体験した災害の恐ろしさほどのものではない。天災が起きてしまったことは仕方がないが、日本人がこの災害を乗り越えられることを希望している。」
この恐ろしい災害への同感と哀憫の情はヒエン氏とムイ氏だけの感情ではなく、ベトナム国立図書館の講堂でのプレゼンテーションに出席した人々の共通感覚である。多くの顔は2つの津波が海の大舌のように継続して起こって、仙台市の港町をなめて、ここでの美しい自然、人間と活気のある生活のすべてを一掃した映像を見て唖然とした。仙台での建物や大型の船の壊れる音を聴いた時や岩手県での一瞬で消えた村や町の映像を見た時の出席者の哀憫の情の声、哀れむ目付き、手で涙を慌てて擦った行為などが、私は見えた。それは各個人的な哀憫の情だけではなく、地理的な距離は遠いが、「人のことを自分のことのように痛む」の感情を共通に持っている人々での本当の同感だと思っている。」

ベトナム在日本大使館の大臣参事官である鈴木英男氏のプレゼンテーションの開会式での発表。

“東日本の大震災についての記憶”のプレゼンテーションとDVDスライドショーは
2つの遠い国の人々を繋げた愛の橋のようであった。

出席者は日本の大震災-津波の二重災害(2011年3月11日~ 2012年3月11日)を見て唖然とした。

プレゼンテーションの後、タンロン技術大学のスタッフであるフイン·ムイ氏は感想の発表

プレゼンテーションの後、五十嵐太郎教授(東北大学)は大震災後のインフラ建設、生活の復興についての反省を述べた。

ブイティフォン・ザン氏は高成田 享教授(仙台大学)のプレゼンテーションを聞いた後、
今後のハノイの計画についての反省を述べた。

日本人の教授との交流の問い合わせのセクションは様々な年齢と業種からの多くの出席者の意見を引き付けた。
ベトナム人は世界中の人々と共に、今まで、まだ日本人に対する二重災害により引き起こされた損失を嘆いているが、日本人が自力で立ち上がって、災害後のリカバリーをしたことについて非常に楽観的に思っている。祖国再建のために日本人の努力はもちろん、国際社会の支援も必要だった。ベトナム人も日本人に対して金銭から多くの生活必需品まで(例えば、12000枚の大人の上着と下着、4500枚の女の子の下着、30000枚のタオル、30000組のブレーク箸、30000組の靴下など)を支援した。
ハノイの交通局の職員であるブイ・ティ・フォン・ザン氏は次のように言った:「私は東京で修士号を勉強する期間があった。日本に行って日本人と一緒に暮らしたことがある私は日本の人々を愛し、日本人の意地と規律精神を賞賛した。被災地の人々が自力で立ち上がって、生活を回復していることを見て、非常に喜び、より一層の賞賛をした。チャンスがあれば、ぜひまた日本に戻って仕事したいと思っている」。
 
   文:トゥク・ヒエン
撮影:ホアン・ジャプ