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.:::.人物
スアンロックの記憶

1975年4月30日、サイゴンを解放、国家統一に貢献したスアンロック鋼鉄の門を開く戦いについて語るなら、第7歩兵隊師団(第4軍団)の司令官であったレ・ナム・フォン(Le Nam Phong)中将を思い出さずにいられない。

フォン中将は革命の故郷であるゲ・アン省に生まれ、抗仏、抗米戦争と西南国境戦争に参加、56年間軍隊に貢献、現在、80歳となったが、スアンロック(以前はロン・カイン省であったが、現在、ドン・ナイ省スアンロック県)の戦い、ホーチミン・キャンペーンについての記憶は残っている。


2010年のレ・ナム・フォン中将


レ・ナム・フォン中将(右側)とグエン・ヴァン・タイ中将


1983年、第1軍団を訪問するレ・チョン・タン大将(前の右側から2番目)


祝勝式におけるフォン中将(左から3番目)


1975年5月15日祝勝式におけるフォン中将(真ん中)


「人生と戦場」と題されたフォン中将についての本

35年前、南部戦線において失敗を重ねた後、サイゴンを救うため、1975年3月25日、アメリカの陸上部隊隊長Weyand将軍は自らスアンロックに向かい、スアンロックを鋼鉄の門にする指導を行い、「スアンロックを守らなければならない。スアンロックがないことはサイゴンがないのだ。」と強調した。

35年たったが、フォン中将はそのスアンロックの戦いをはっきり覚えている。当時、フォン中将が指導した第7歩兵隊師団は第4軍団の指令を受け、敵の第18師団の司令部を破り、第341師団と協力、傀儡政権の省長の官邸を占領した。フォン中将の記憶によると、1975年4月9日、午前5時40分、第4軍団はスアンロックを攻撃、数日間、強靭な敵に激しい戦いを強いられた。

ビエンホアとつながると敵の勢いが増すことが分かり、司令部は作戦の変更を決めた。我々の軍は集落の攻撃を中止、スアンロックを分離するために1号線の道路において戦った。敵は我々の軍を撃破したと間違えた。しかし、4月20日の朝、我々の軍は突然攻撃を開始、ザキエムにおいて敵の第52師団を撃破した。その後、130門の大砲でビエンホア空港を破壊した。数日前の4月16日、17日、敵はヌオックチョン、バトゥック、ロンビン、ダイアンなどにおいてスアンロックの救援するために、200台の戦車、100以上の大砲を使用した。両軍は数日間激しく戦った。敗色が濃厚となったため、敵のレ・ミン・ダオ将軍はスアンロックを離れ、雨の中、密かに逃亡した。1975年4月21日、13日後、スアンロック集落とロン・カイン省は完全に解放された。

第4軍団はスアンロック鋼鉄の門を破壊し、我々の軍隊がサイゴンへ進み、国家を統一することに貢献した。

ホーチミン・キャンペーンにおいて、フォン中将は第7歩兵隊師団を指導、東から進み、サイゴンの1区、敵の放送局、ジンドックラップを占領した。

サイゴンへの侵攻中、フォン中将の軍隊はビエンホアを攻撃する時、敵がビルから我々の軍団を攻撃したため、多くの困難に直面した。ゲイン橋が狭く弱いため、戦車が渡れないため、フォン中将はビエンホア-トゥドゥックを越えずに、1号線の道路に変更した。多くの人々の歓迎によって、サイゴン-ビエンホアの道は渋滞となった。時間が遅れたため、フォン中将はグエン・ヴァン・タイ共産党統制副委員に指導を委任、車でサイゴンへ進んだ。ティゲ橋に到着した時、1975年4月30日午前11時30分、ジンドックラップにおいて国旗が揚がったとの情報を得た。

サイゴン開放後、第4軍団はサイゴンの軍管の任務を任された。旧政権はまもなく崩壊し、新政権を樹立、革命軍はサイゴンに入り、サイゴンの安定、秩序を維持、反革命分子の鎮圧、経済、文化、政治の防衛のため、多くの緊急問題が起きた。フォン中将は階級を越えた軍管能力を発揮し、各地方革命団体が政権を樹立し社会秩序と人民の生活の安定を図るために確固たる行動をとった。

1975年5月1日、フォン中将と第7歩兵隊師団のタイ共産党統制副委員は南ベトナム共和国臨時革命政府が1975年5月2日にサイゴン傀儡政権のメンバーを自由にし、それぞれの家庭に戻すという決定をしたことをサイゴン-ザーディン軍管理委員会が公表する式を行う任務を任され、ベトナムで20年以上も続いた戦争を完全に終結させることに貢献した。

文:ヴァン・クイ(Van Quy)
写真:クアン・ミン(Quang Minh)と資料

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